大阪地方裁判所 昭和58年(ワ)7437号 判決 1985年4月08日
原告
山内務
右訴訟代理人弁護士
辺見陽一
被告
大阪市職員互助組合
右代表者組合長
岩田安雄
右訴訟代理人弁護士
高坂敬三
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 原告が被告との間で雇用契約上の地位を有していることを確認する。
2 被告は、原告に対し、昭和五六年一一月一日から原告を復職させるまで一ケ月二六万八〇〇〇円の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
4 第2項につき仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 被告は、大阪市の職員互助組合条例及び職員互助組合規則にもとづき同市職員の福利事業及び相互共済を目的として設立され、同市職員で組織し、組合員の掛金と事業主である大阪市からの交付金で運営され、組合員に一定の基準による給付をなすことを主たる業務とし、代表者、意思決定機関をもち、本件我孫子職員会館(以下「本件会館」という。)等を経営する権利能力なき社団である。
2 原告は、被告との間で、昭和五五年六月二六日、調理師の職業紹介を業としている訴外株式会社京定(以下「訴外京定」という。)の紹介により、調理長として被告に勤務する旨の雇用契約(以下「本件雇用契約」という。)を締結した。
3 被告は、昭和五六年九月一〇日頃若しくは同年一〇月二〇日過ぎ頃、事務長栗原勲(以下「被告の栗原事務長」という。)により、京定の専務取締役五十嵐賢爾(以下「訴外五十嵐」という。)を使者として、原告に対し、原告を同年一〇月二七日または三一日付で解雇する旨の意思表示をなしたものであるが、右解雇の意思表示も、次の事情により解雇権の濫用に当るから無効である。すなわち、後記のとおり、被告が原告の解雇事由としてのべるところのものは極めて抽象的でつかみどころのないものである上、右理由は、事前に原告に対し、一度たりとも直接に告げて注意をすることもなく解雇理由にされているものである。ひるがえって、昭和五五年八月、本件会館に訴外河江昌昭が館長として就任して以来、原告らに対して、訴外河江の出身部局である大阪市土木局の職員の会合の際には特別に融通をきかした料理を出すように再三命じて職権濫用の気配があったが、下僚である原告らはこれに従わざるをえなかったところ、事態が発覚して問題が表面化したため、昭和五六年六月、訴外河江は、他に転勤を余儀なくされた。そこで被告は、右転勤に伴い、右訴外人の命に従った原告ら調理師全員を解雇しようと企図し、真実はそうでないのに拘らず、料理の味付や原価率(売値に対する仕入値の比率)が悪い、或いは、勤務態度が芳しくないなどと口実をもうけて、原告を解雇するに至ったものである。
4 原告の昭和五六年一〇月当時の給料は、月額合計二六万八〇〇〇円であった。
5 然るに、被告は雇用契約の存在を争う。
6 よって、原告は、被告に対し、被告との間で原告が雇用契約上の地位を有することの確認及び昭和五六年一一月一日から原告を復職させるまで右契約上の給料として一ケ月二六万八〇〇〇円の割合による金員の支払をそれぞれ求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1、2、4及び5の事実はいずれも認める。
2 同3の事実のうち、訴外河江昌昭が、昭和五五年八月に本件会館の館長に就任し、昭和五六年四月に転勤したこと、同人がかつて大阪市土木局に在籍した経歴を有すること、同人が、一時期、一部利用者の便宜をはかるよう原告に要請し、原告がこれに従ったことはいずれも認めるが、その余の事実はいずれも否認し、解雇権濫用の主張は争う。
三 抗弁
1 被告は、次項にのべる事情が生じたため調理師業界の慣例に従い原告の紹介者訴外京定を通じて原告の交替を計ることとし、昭和五六年九月一〇日頃訴外五十嵐を使者として、原告に対し、本件雇用契約を合意解約したい旨の申込みの意思表示(以下「本件解約の申込み」という。)をなし、原告は、その後暫くして右訴外人を使者として明示的に、しからずとするも、おそくとも同年一〇月二八日頃に、後継者訴外舛野正雄に対し仕事の引継ぎを円満になし、爾後残留する部下一名を残し、他の部下と共に出勤しなくなることにより黙示的に、右被告の解約の申込みを承諾する旨の意思表示(以下「本件解約の承諾」という。)をなした。
2 仮に、原告が先に自認する解雇の意思表示があったとしても、次のとおりの正当な解雇理由が存したから、右意思表示は解雇権の濫用に該当しない。すなわち、原告の調理長就職後間もなくして、原告の料理につき本件会館の利用客より、味がまずいとか、料理に手抜きをしているとか、切り出し物が多いといったような苦情が出るようになり、他方、原告は、経理的な面においても、被告より、赤字解消のため原価率を低く抑えるように要望されていたにもかかわらず、一向に改善せず、ときには赤字を出すこともあった。そこで被告は暫く様子を見て来たところ、料理の内容は一向に改善されず、原価率も被告の経営する桜の宮職員会館に比べて悪く、さらに、原告の勤務態度にも甚だ芳しからざるところが見受けられるようになったもので、結局、原告は、本件会館の要求する内容の料理を出す技能がなく、調理長としての適格性を欠いていた。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1の事実は否認する。むしろ、本件解約の申込みなるものはなく、それは先に自認した被告の一方的解雇の意思表示である。
2 同2の事実は否認する。
五 再抗弁
仮に被告主張の合意解約があったとしても、訴外京定は大切な得意先である被告の申出を事実上拒否しきれない立場にあり、他方、原告ら調理師はその所属する右訴外人の勧告を、その職業紹介における強い影響力のゆえに断りえない関係にあるところ、被告の本件解約の申込みは、(1)顧客としての訴外京定に対する前記の地位と同訴外人の原告に対する前記支配的な地位を違法に利用して、一方的解雇の目的を合意解約の形式をとって果そうとしてなされたものであり、若しくは、(2)原告不知の間に、被告の栗原事務長と訴外五十嵐が、本件雇用契約の存廃処理に介入し、その処理を取り決めてなされたもので、これは職業安定法(以下「職安法」という。)が禁止する労働者口入れ業を訴外京定に認める結果となり、また、調理師にとっても自己の雇用契約上の地位を同訴外人によって事実上左右されることとなり、この点において、職安法四四条の趣旨に牴触するものであり、よって、いずれにしても、公序良俗に反し無効である。また、他方、原告の本件解約の承諾も前記(1)訴外京定の原告に対する違法な圧力のもとになされたものであり、また前同(2)の、各理由により公序良俗に反し無効であり、結局、いずれにしても右合意解約は無効である。
六 再抗弁に対する認否
いずれも否認する。
第三証拠
証拠関係は本件記録中証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 まず、請求原因1の事実は、当事者間に争いがない上、(証拠略)を総合すれば、右事実の外、被告は、組織をそなえ、多数決原則が行われ、構成員の変更に拘らず団体が存続し、その組織において代表の方法、総会の運営、財産の管理等団体としての主要な点が大阪市の条例、規則で確定していることが認められるので、被告は権利能力なき社団というべきである。ついで、請求原因2の事実については当事者間に争いがない。
二 被告の合意解約の抗弁について
1 まず、原告は、昭和五六年九月一〇日頃、被告の栗原事務長が、訴外京定の五十風専務を通じて原告に対しなした意思表示なるものは、本件雇用契約の合意解約の申込みではなく、一方的な解雇の意思表示にすぎず、したがって承諾の事実はない旨争うので以下順次検討する。
前一項の争いがない事実、並びに、(証拠略)を総合すれば、次の事実を認めることができる。
(一) 旅館、ホテル、料理店等日本料理の継続的供給をなす業界は調理師の継続的かつ円滑な供給が不可欠であり、他方、調理師側も自己の手腕に合致した就職先を容易に探すためには就職先につき広範囲の情報を必要とするところ、このような調理師業界の需要の特殊性により、旧くから右需要と供給の中間に「部屋」と呼ばれる職安法三二条にもとづき労働大臣の許可を受けて日本料理の調理師の有料職業紹介を行なう業者が介在し、調理師の多くは右業者に身元保証人を立てて所属して就職先の広範囲の紹介を受け、その中から気に入った就職先を求め、他方料理店等は右業者を活用することにより、その所属の多数調理師の紹介の便宜を受けて、自己の営業方針、特色に合致した調理師をさがし求め、或いは調理師の需要を満たしているのが、料理業界の実情である。そして、料理店等が調理師の交替を希望するときも、継続的料理提供を不可欠とする自己の営業が、一時的に調理師がいないために支障の生じることを極力避けるため、退職話も雇主の方から直接調理師との間でなすことをさけ、右「部屋」の斡旋を期待して、「部屋」を通じてなし、また、交替の円滑を期するため、できるだけ合意解約等調理師の意思にもとづく、穏便、円満な契約解消手段を好むのが通常である。そして、調理師は、師事してきた調理長の日頃の指導等に照らし、「部屋」から紹介就職先からの退職話を告げられて退職方の説得をされれば、これに応ずるのが通常であり、また、自己の料理の持ち味が雇主の求める味と合わない等味の苦情にもとづき退職を求められるときは、調理師としての誇りからも応ぜざるをえないと考えているのが通常であり、また自分の都合で就職先を退職したいときも「部屋」を通じてなすのが通常であり、調理長が退職する場合には、その下で働いている配下の調理師らも同伴して共に辞めるのが原則である。
(二) 訴外京定は、同業者一八軒と同様に、職安法三二条にもとづく労働大臣の許可を受けて、日本料理専門の調理師の有料斡旋をなすいわゆる「部屋」と呼ばれる有料職業紹介業者であり、常時約五六〇軒程の紹介斡旋先の料理店等を取引先としてもち、約二二〇〇人程の所属調理師をもつ老舗であり、紹介先の前記の通常の期待、態度と相俟って、他の同業者と同様に、自己の紹介した調理師については、できるかぎり同調理師を擁護すべく、交替やむなしと認めるときは、新調理師の紹介、旧調理師に対する円満な雇用関係の解消勧奨、新就職先の斡旋を通じて、円滑な交替を計るのが、調理師業界の労使における「部屋」としての自己の役割ないし存在理由と考えて営業してきたものである。
被告は、昭和三〇年五月の創立以来、訴外京定の取引先となりその調理師の紹介を受けてきたものであり、原告は、昭和三四年三月以来訴外京定に所属し、就職先の紹介を受けてきたものであるが、原告は、その紹介により、昭和五五年六月二六日、被告の経営する本件会館に、前任者と共に退職しなかった残留調理師二名等四名を配下とする調理部の責任者である調理長として就職した。
(三) ところが、間もなく、本件会館の利用客より、原告の作る料理の内容について、味が悪い、付き出し物が多いなどの苦情が出るようになった。また他方、被告の経営する桜宮職員会館及び本件会館の赤字を解消するため、被告の山田武士福利係長(以下「山田係長」という。)が、右各職員会館の館長及び調理長に対し、昭和五五年七月頃、売値に対する仕入値の比率をあらわす原価率を一定の目標値を指示して低く抑えるように求めた。これに対し、桜宮職員会館の調理長は、間もなく山田係長の指示する原価率を達成し、これを維持したが、原告は依然としてこれを達成しなかった。そこで、被告の山田係長、同人より進言を受けた栗原事務長は、原告の料理が被告の求めるところと合わないものと考え、円満にその交替を計るべく、まず、昭和五五年八、九月頃原告の紹介者である訴外京定の五十嵐専務に対し原告を入れ替えて欲しい旨申し出たが、訴外五十嵐より、就職後日が浅いので、もう少し様子を見てもらいたいとの理由で拒否された。その後、原価率についてはやゝ改善されたものの、料理の内容や味付についての苦情は、なおも寄せられ、さらに原告に、出勤時間が遅く、かつ調理場にいないことが多いなど勤務態度にも芳しくない点も見受けられたので、昭和五六年八月末ころ、前記栗原事務長らは、再度、訴外五十嵐に対し、右の点を付加して原告を入れ替えて欲しい旨申し入れをしたが、訴外五十嵐よりみれば、被告側のあげる前記各理由には直ちに承服できない面もあったので、同訴外人より少し考えさせてもらいたい旨告げられ、応じてもらえなかった。
(四) そこで、被告の栗原事務長、山田係長及び木村某は、昭和五六年九月七日、訴外京定の五十嵐を被告の事務所に呼び、改めて、前記の原価率、料理の苦情、勤務態度の三点にもとづき、是非とも原告を入れ替えて欲しい旨要望したが、訴外五十嵐は原告をかばい容易に応ぜず、双方けんか腰の言い分のやりとりとなるに至り、漸く、同訴外人も原告が調理長として掌理する料理の味が、被告が本件会館で求めるそれと合わないとされ、しかもここまで強く言われるに至っては、原告を入れ替えることはやむを得ないと最終的に判断するに至った。そこで、同訴外人は、右栗原らに対し、原告の退職金、解雇予告手当についての被告の見解をきいたところ、栗原は、原告には勤務期間不足のため、退職金は問題外であり、交替してくれるのであれば、交替の日は原告本人の都合の良い日を選んでもらって結構である旨述べたため、訴外五十嵐は交替の日は原告の都合の良い日を選んでもらうということにして、解雇予告手当若しくは期日について更に具体的に言及することなく、原告に対し被告の右申出を伝え、これに応ずるよう勧奨することを引き受けて帰った。
(五) 右話合い後二、三日経ったころ、訴外五十嵐は、訴外京定の事務所において、原告に対し、被告より、前記原価率と料理の味が合わない等の味の苦情を理由に交替の申込みがされていることを告げ、「代りを送るから上って来なさい。」と交替に応ずるようすすめたが、原告が一生懸命やって来た旨のべて直ちに応じなかったので、訴外五十嵐は、要旨、「原告が一生懸命やっているのはわかっているが、味が合わんとまで、しかもけんか話になるまで強く言われればやむをえないから帰って来なさい、日は原告が決めていいから、ただ半年や一年先ということではないから頼む。」旨部屋と所属調理師間に特有の粗野な言辞のやりとりを混えて、被告の右申出に応ずるよう強く説得したところ、原告は右交替理由として告げられた点については納得しないまま、「部屋」のすすめであるためやむなくしぶしぶながら最終的に「あゝ、そうですか。」とのべるなど、態度により交替を承諾する旨示して帰った。
(六) ついで、同年九月末頃、原告は同年一〇月二八日より少し前の日に上がる旨訴外五十嵐に連絡して来たので、同訴外人は、被告の栗原事務長に対し、原告が交替を承諾した旨連絡し、原告の後任の人選に着手して京定所属の訴外舛野正雄と交渉し、原告の後任となることの承諾をえた。同年一〇月中旬頃、原告は当時自己の配下の調理師として共に働いていた調理師四名に対し、被告から料理の味について今頃になって苦情が出るのはおかしい旨不平をのべつつ、自分が上がることを告げ、共に上がるかを質したところ、金山輝男のみが特別の個人的事情により残留を申し出たので、早速、その旨訴外五十嵐に伺いを立て、その了承をえた。金山の残留は同訴外人を通じ、被告にも伝えられ、この残留に関連して、原告の退職日は同月二八日に変更になり、訴外京定を介して、原告、舛野間の事務引き継ぎの日は右退職の前日夜と定められた。そして、同月二七日夜十時ころ、原告は、本件会館において、訴外五十嵐に伴われ引き継ぎのために来館した舛野を待ち迎え、出入り業者のことを説明するなどして、平穏、円満に仕事の引継ぎを終えた。
(七) 翌二八日以降、金山を除く原告ら前記四名は、いずれも共に出勤しなくなった。そして、原告は、昭和五六年一一月五日頃、資格喪失の際に申請すべき健康保険の任意継続被保険者資格取得の申請手続をなした。ついで、原告は、妻優子が被告より事務処理上必要として提出方を依頼されてきた退職届を、同年一〇月三一日付で自ら作成、封書しそのまま投函すればよい状態にして投函を迷っていたものの、同年一二月一日、妻が無断で投函してしまったのに対し、結局、被告に異議申立て等特段のはたらきかけをなすこともなく、被告が右退職届を受領するのを放置容認した。他方、原告は被告へ出勤しなくなった後、訴外京定より新しい就職先を次々と紹介され、漸く昭和五七年七月、右紹介先の一つである訴外成尾紹雄の経営する飲食店「」に調理師として就職して働くこととなった。
(八) ところが、原告は、翌五八年七月末、右「る」を解雇され、その後突如、同年八月二九日頃及び同年九月一二日頃、被告宛に各同日付けの書面を送付して、さきに送付した退職届が提出時の精神不安定のため等により無効である等と訴えはじめ、同年一〇月二六日には本訴を提起(この点については、記録上明らかである。)するに至ったが、他方、原告は、退職届を投函した当日、郵便局に赴き、前(七)記載の退職届在中の封書の返還方を求め、それに必要な用紙(<証拠略>)をもらってきたことはあるものの、被告に出勤しなくなった昭和五六年一〇月二八日から退職届の無効を主張する前記書面を送付するまでの間、被告、さらには訴外京定、同五十嵐に対して、自己の退職自体について異議やその無効を主張したことは全くなかった。
以上の事実をそれぞれ認めることができる。
ところで、原告本人の供述には、右(五)(六)に反し、訴外五十嵐より、被告が原価率が合わないから辞めてくれといっていると伝えられたが、右理由が納得できないため承諾しないままでいたのに、同訴外人より、一方的に後任の訴外舛野を送り込まれ、さらに、「なぜ退職願が書けんのか。」などと言われ、ここに至っては結着は法廷で争うしかないと考えるに至り、仕方なく引継ぎをなし、爾後は本件会館へ出勤することもできなくなったまでで結局、一方的に解雇されたものである旨の部分があり、(証拠略)にも一方的解雇を受けたことを前提とする記載があるが、一方的解雇とする点は、原告本人の供述の全趣旨により本件雇用契約解消のいきさつが前認定(三)(四)のとおり、被告側からの強い申出に端を発していることから、原告がそのように理解していることが認められるが、他方前認定(一)(二)の事実関係に照らせば、右契約解消の発端、いきさつのみでは未だ一方的解雇とする根拠不十分という外なく、その余の点は前認定(八)の原告の態度と相矛盾するのみならず、前認定(四)の被告が訴外五十嵐の希望にそって退職日を原告に委ねるという穏便かつ性急でない契約解消手段をとっていることに照らせば、訴外五十嵐が、原告から退職の了解もとれていないのに、一方的に後任者を派遣し、引き継ぎを強い、関係者間に紛争を惹起しかねないことを敢えてすることは経験則上考えられず、さらに右供述部分及び書証記載は前掲証人五十嵐の証言と対比して、到底採用できない。また原告本人尋問結果により成立を認める(証拠略)及び同号証に関する原告本人の供述部分は、被告に送付した書面を原告が所持していること自体不自然であり、他に右供述を裏付けるに足りる証拠もないので、いずれも到底採用できない。そして、前記(一)ないし(八)の認定に反するその余の原告本人の尋問結果、(人証略)はいずれも採用できない。
以上の他に、右(一)ないし(八)の認定事実を左右するに足る証拠はない。
2 前項認定の事実、就中(一)ないし(六)によれば、被告は補助機関である栗原事務長により、昭和五六年九月七日頃、訴外京定の五十嵐専務を使者(意思伝達機関)として、原告に対し、本件雇用契約を合意により解約したい旨の申込みの意思表示をなし、同意思表示は右使者により同月一〇日頃原告に伝達され、原告は、これに応じて、同月末ころ、右訴外五十嵐を使者として、被告に対し、右申込みを承諾する旨の意思表示をなし、ここに原被告間に本件雇用契約の合意解約が成立したものと認めるのが相当である。
ところで、原告は、前認定(四)(五)の、被告の栗原事務長が京定の五十嵐を介して原告に対し、退職の話をもちかけた意思表示は全体として一方的解雇の意思表示と認定されるべきものである旨争い、たしかに、成立に争いのない甲一号証(雇用保険被保険者離職票2)の離職理由欄には、「会社都合による解職 解雇予告済」の記載があるが、(人証略)によれば、これは、雇用保険の失業給付の関係で、会社都合による解職というようにすれば、任意退職の場合より原告に手続上有利になると被告の担当職員が考えて、かかる記載をしたにすぎないものと認められるから、右記載をもって、原告の退職が被告の解雇によるものと認めることはできず、前記認定のさまたげとなるものではない。むしろ、前認定(一)ないし(四)によれば、被告も、訴外京定のような職業紹介業者の紹介を受けて調理師を使用する者が、調理師交替の際にもつ通常の期待に従い、しかも、訴外京定の五十嵐専務の役割観にたよって、できるだけ円満かつ円滑な原告の交替を願っていたことは明らかであり、栗原、五十嵐の間で、原告の退職につき解雇予告手当が話題にのぼりながら、結局、解雇に伴う予告期間又は同手当については具体的に言及されることなく、退職の日は原告に一任された形態の契約解消方法が、被告より訴外五十嵐を介して原告に伝達されているのであって、これに加え、被告側に、右契約解消方の伝達の頃に、原告の都合を待たずに、日時を限定してまで一方的解雇手段を選択せねばならない特段の事情は証拠上認められない点並びに前認定(五)の訴外五十嵐の原告に対する説得の態様に照らせば、やはり、前認定に止まり、昭和五六年九月一〇日頃、被告の栗原事務長が訴外五十嵐を介して原告に対しなした意思表示を解雇の意思表示と認定ないし評価することは到底できないという外ない。よって、原告の前記主張は理由がない。
ついで、原告は本件解約の承諾の点も争い、しかも(人証略)並びに原告本人尋問の結果によれば、(1)原告は、昭和五六年一〇月中旬頃、金山が残留することとなった後に、被告より退職届の提出方を求められながら、配下調理師と共に応ぜず、(2)ついで同月二七日(後任者に仕事の引継ぎをした日)の午前中、原告は被告の栗原事務長に対し、電話をかけ、被告側の言っている原価率云々に納得がいかないとして抗議をなすとともにその理由を問いただしたことが認められ、また、(3)原告は被告に対する退職届を自ら作成しながら、妻に投函されるまで、発送をためらっていたことがあり、(4)昭和五八年八月二九日、同九月一二日の二度に亘り、被告に書面を送り、右退職届は提出時は精神状態不安定であったため無効である旨訴えていることは前認定(前1項(七)(八))のとおりである。しかしながら、他方、(人証略)及び原告本人の尋問結果によれば、金山残留直後に退職届を作成しなかったのは、今回の本件雇用契約の解消の発端が原告らの自発的希望に基づくものではなく、被告の申出で、しかも納得のできない理由によるものであるから、本来自発的退職にこそふさわしい退職届を作成できないとの原告独自の考えによるものであって、右契約解消自体を承諾しないためでなかったこと、栗原事務長に対する電話の際、原告は、自分としては精一杯やって来たが、訴外京定がやかましく言うので上がる旨のべ、栗原は右電話の趣旨を別れの挨拶を兼ねたものと理解していること、原告の妻が無断で投函した退職届は、もともと原告が被告に出勤しなくなった後、同妻を通じ、被告が、単に事務処理手続上必要なものに過ぎないとして提出方を求めている旨きき、その趣旨で作成したものであったことがそれぞれ認められるのであって、これに加えて、前認定(七)(八)の後任者舛野への事務引継ぎ後の原告の被告に対する態度を総合して、対比すれば前記(1)ないし(4)の事実は原告の本件解約の承諾の認定をさまたげるものではない。
以上のとおりであるから、原告の右主張は採用できない。
三 原告の再抗弁について
1 原告は、原告は訴外京定に対し、同訴外人は被告に対し、各前者の調理師の処遇に関する申出を拒否しえない関係にあり、本件解約申込みと承諾は、(1)申込みは被告により承諾は訴外京定により、右三者の前者に対する右拒否しえない圧力を違法に利用されてなされたゆえに、(2)被告及び訴外京定が無断で原告の本件雇用契約に介入して処理した点で職安法四四条の趣旨にふれるゆえに、いずれも公序良俗に反し無効である旨主張する。
まず所論の前提とする支配、圧力関係、(1)理由に基づく公序良俗違反の点につきみるに、全証拠によるも、本件解約申込み、承諾の背景といきさつとして、前記二1(一)ないし(六)認定事実が認められるにとどまり、右認定事実によれば調理師職業紹介業者より紹介を受けて調理師を雇用した雇主が調理師の交替を希望するとき、雇主は、自ら解雇の労をとるまでもなく、職業紹介業者に申し出ればその斡旋による円満な交替が期待できるのが調理師業界の通常であり、その点にも、右職業紹介業者の存在理由があり、右業者である訴外京定は、同存在理由を自認しているが、他方右雇主から交替の申し入れを受けても、常にそれを調理師に取りつぐものではなく、交替理由に納得がいかないときは自己に所属する調理師を擁護して拒否し、自らやむをえないものとして理解できるときは、円満に退職するよう、当該調理師を強く説得するようなこともあり、調理師も先輩からの指導等により、このような場合の紹介業者の斡旋、説得には応ずるのが調理師業界における通常であり、本件解約申込みについても被告の栗原事務長らは、右業界の通例に従ったまでであるが、訴外京定が原告を擁護したため、被告は交替を同訴外人に求めながら、一年間も原告に取りついでもらえず、訴外京定の五十嵐専務も、右一年を過ぎて、被告の交替理由として原告の料理の持ち味についての苦情があくまで維持され、しかもなお強く求められたので、漸くやむをえないものと理解して、原告に交替話を取りつぎ、円満な退職をすすめたが、その際、直ちに応じなかった原告を強く説得したところ、原告も漸く承諾し、かくして後日、自ら退職日を指定し残留者一人を残すことについても訴外五十嵐に伺いを立て、同訴外人を介して被告に伝え、円満に後任者への事務の引継ぎをも行なっており、他方原告の就職、退職時いずれの時も残留者が存したのである。
そうだとすると、右事実関係からは、所論のような訴外京定が被告の申出を拒否しえない支配、圧力関係の存在を到底推認しがたく、他にこれを認めるに足る証拠もない。また、右事実関係によれば所論の原告が訴外京定との間で、その説得を拒否しにくい関係が存在したことはたしかであるが、それは先輩から受けた指導等や、職業紹介を部屋に所属する形で専属的に受けていることによるに過ぎず、他方部屋に所属しているにしても、調理師が部屋の紹介先を選択して拒否したり、紹介先を自己の都合のみで比較的簡単に退職するのも自由であり、大阪府下には訴外京定の同業者が他に約一八軒程存したことは前認定のとおりであり、他に右部屋の所属の変更が困難であるなど特段の事情も認められない点に照らせば、前記原告が京定の説得を拒否しにくい関係は拒否不可能ないしは強度のものとは到底認めがたく、さらに右拒否しにくい関係が訴外京定の支配ないし圧力によるものであるとか、若しくは、右支配ないし圧力が社会通念に照らし違法視すべき特段の事情もこれを認めるに足る証拠はない。ついで、前記二1(一)ないし(六)の事実関係に照らせば、所論のように、被告、若くは訴外京定の五十嵐が、原告が訴外京定の説得を拒否しにくい関係を利用して本件解約を申込み、若くは承諾をとろうとした意図はこれを認めるに足る証拠はない。
よって、その余の点につき考えるまでもなく、原告の前記圧力関係及び(1)理由による公序良俗違反の所論は理由がない。
2 つぎに、再抗弁のうち(2)理由による公序良俗違反の所論につきみる。
まず、職安法四四条は、自己の雇用する、または支配関係にある労働者を供給先との継続的供給契約によって、他人に使用させることを内容とする労働者供給事業を、同法四五条により労働組合がなす場合を除き一切禁止するものであるところ、その趣旨は、従来、労働者供給事業においては、封建的な身分関係にも擬せられる非民主的な関係にもとづき供給者による労働の中間搾取が行われ、かつ強制労働の弊害を伴いがちであったため、この両弊害を防止して、労働者の保護と共に労働関係の近代化を計ろうとするものである。これを本件についてみるに、訴外京定が、自ら紹介斡旋した原告と被告間の本件雇用契約の合意解約を、被告の依頼により、仲介斡旋し、その際原告を強く説得して、一種の介入をなしたことは前認定(前記二1(四)(五))のとおりであるが、ここで、訴外京定のなした介入対象は、もともと前記職安法四四条が直接規制対象とする労働契約の成立、存続ではなく、労働契約の解消であるから、まずは、ここで、直接に右法条の趣旨が問われるべきものではないというべきである。ついで間接的に右法条の趣旨が問われるべきかについてみるに、訴外京定は職安法三二条にもとづく許可を受けて調理師の雇傭契約成立の斡旋、紹介の介入を許された有料職業紹介業者であり、原告が昭和三四年三月以来身許保証人を立てて右京定に所属して、就職先の紹介を受けて来たことは、前認定(前記二1(一)(二))のとおりであり、(人証略)及び原告の本人尋問の結果によれば、原告ら調理師が「部屋」と呼ばれる訴外京定に所属して職業紹介を受けている間に、身許保証人をたてる以外には、会費等一時的、継続的金銭を何ら支払う義務はなく、訴外京定が調理師を紹介して斡旋の結果雇用契約が成立したときは、同訴外人は雇主より一定の手数料(本件雇用契約では、給料の一割の三ケ月分に金四〇〇円を加算した額)を受領するのみであって、ただ原告は右京定に対し任意の寸志(足代として給料の一割程度)を交付していたものであり、また、雇用条件についても、訴外京定は斡旋者の立場で初任給の希望額を雇主にのべることがある程度で、契約条件及びこれによる契約の締結自体の決定は調理師本人がその任意の意思にもとづきなすのであって、訴外京定は締結時の立会人となるに過ぎず、一旦締結した雇用契約の解約も調理師本人が希望するときは、その意思のままに決定でき、ただ訴外京定を通じてその仲介のもとに解約手続をなすのが通例であることが認められるに過ぎず、右事実関係からは直ちに訴外京定と被告その他調理師の需要先との間で、所属調理師につき継続供給契約若しくはそれに実質的に類した請負その他の契約が締結されていたこと、及び、訴外京定と原告ら調理師との間で、所属するについて支配的若くは従属関係を生ずるべき雇用契約その他の契約が締結されていたことを推認することは到底できず、他に右各事実を認めるに足る証拠はない。そして、さらに、訴外京定の五十嵐がなした前記本件雇用契約の合意解約に関する介入が、むしろ、原告を他の調理師の需要先へ紹介斡旋する訴外京定の利益を計る目的、意図からなされたことについては、これを認めるに足る証拠はない。そうだとすると、右京定の介入が、他の調理師需要先との間での労働者供給のための一過程とみられ、そのために、全体として職安法四四条の趣旨を問われるべき関係となるともいえない。よって、原告の前記所論は理由がない。
以上のとおりであるから、原告の再抗弁はすべて採用できない。
四 結論
そうすると、双方のその余の主張につき判断するまでもなく、原告の本訴請求は、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 杉本昭一 裁判官 田中清 裁判官 波床昌則)